第47回全日本少年剣道練成大会 優勝(8年ぶり2度目) 「とったぞ日本一」
- kouryukan0922
- 2012年7月31日
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5人の侍が日本武道館にて日本の頂点に立ちました。 2000年4月、長男、光が誕生しました。生まれる前から竹刀の響きを聞きながら・・・・・いつから剣道を始めたの?と聞かれるたびに・・考え込む。気がついたときには毎日、稽古に来る先輩たちに囲まれて育ったから・・・正確には気がついたときからだろう。 忘れもしない今から9年前、和歌山県全国中学生剣道大会での事。練習会場で物凄く剣道が板についた中学生剣士を見つけた。剣道も上手 そうだが育った環境がとても気になった。この子はいったい、どこでどのようにしてどんな先生にどのように剣道を教わったのか?立ち振る舞いからすべてが他の中学生とはまったく違っていた。そう思ったのは今までで始めてでした。数年後、道連個人チャンピオン雨谷水紀(いばらき少年剣友会)とわかった。納得です。茨城での懇親会でよくこの話を水紀君としますが本当に衝撃的な出会いでした。いまでも指導者がみてそう思える指導者、剣士を育てたいと思っていますが水紀君のようにはなかなかいきません。 光、誕生の病院の隣のベッドに我が子の誕生を待っている母がいた。それが中堅の長尾海人の母である。まさか12年後に同じチームで共に戦うチームメイトになろうとは・・・・・・・・。父は私の中学校の教え子。お父さんは、気は出るし剣道も強かった。運命だったのでしょうか。副将、大山諒輔。小さいときから道場で一緒に遊んだ幼馴染。次蜂、田村亮貴。技術はまだまだだが気迫と集中力はずば抜けている。先鋒、福家瑞寿輝。光龍舘斬り込み隊長。5人の2000年ベイビーが、それぞれの思いを抱いて日本の頂点を目指しました。 日々黙々とタイヤ打ち、基本稽古の繰り返し、遠征、試合稽古もなく黙々とやりつづけた。他のチームは、試合稽古を多く積み重ねてどうなっているのか気になって気になって仕方なかった。しかし、試合稽古より地力をつける基本に徹した。「堂々と勝つ」と。剣道日本のDVD「27年前の名勝負」を何度も何度も見た。まさしく男と男の戦い。何と手に汗握る名勝負なのか。現在の剣道とはまったく違う。子供達にも高校生、大学生にも見せた。これが剣道だと。時間空費など微塵もなく、勝っていてもつばぜり合いから堂々と分かれ、一足一刀から真っ向で渡り合う、打つか打たれるかこれが剣道だと。最近、子供にどうして負けたの?と聞くと相手が逃げて、ひっついて離れてくれないから負けた、卑怯などという声が多い。正しく堂々と卑怯な振る舞いはしてはいけないと言い続けている。DVDを見た大学生に聞いた。お前勝てるか?・・・・・・?・・・・・次元が違う。間合いの攻防、竹刀の振り幅、打ちの強さ、勝っても負けても堂々の戦いここを目指そう。 7月に入り道場での稽古を前半、後半の2部に分けた。狭い道場でなかなか思うようには稽古が進まない。初めての試みである。大会2週間前、最終調整に入った。待ちに待った山下、大坂が筑波から帰省し協力してくれた。適切なアドバイスと実践的な実技指導、たいしたものだ。本当に頼もしく思う。最後は、お前たちに託すのだからお前たちでみろと・・・・・。最終の試合稽古では山下がついてきてくれた。しかし、修正には・・・・・・・・・やっぱり山下か?? 日々の修正は、大坂が毎日、指導してくれ、子供と調整稽古を続けてくれた。本当に浩一朗ありがとう。大会3日前、山下が東京に行くと・・・・・。私も連れて行きたかった。浩一朗にもそれとなく聞いてみた。本当は3人で行きたかった。8年前の優勝時も何もない山下を連れて行った。ここになにかあるのだろう。 満員の日本武道館、全国各地の予選を勝ち抜いた540チームが一同に揃った。目指すは頂点のみ、一気に駆け上がれ! 準々決勝、結城尚武館(茨城)昨年の武道館、水戸大会での決勝を戦ったチーム。強豪である。先鋒、瑞寿輝が流れをつくり紙一重で勝ち上がった。準決勝、東松舘(東京)今年関東最強のチームと聞いている。真っ向で打ち抜けと送り出した。みんな腹をくくったと思う。一番大きな 山だ。先鋒、瑞寿輝がまさかの2本負け。負けたことがない先鋒が負けた。しかし、力は十分発揮した。ここで次鋒、田村が集中力を切らさず最後の最後で小手を決めた。ここからが勝負。中堅、長尾。相手も相当強かったが出頭面、出小手と一気に勝負を決めた。勝ち越した。副将、大山最後まで打ち合ったが勝負つかず引き分け。勝負は大将戦となった。引き分けで勝ち、1本負けで代表戦、2本負けで負け。一番気持ちが揺れる大将戦である。しかし、この一番だけは違った。迷うことなく真っ向から一気に攻め込んだ。小手あり。つばぜり合いから引き面と勝負を決めた。見事な大将戦でした。もう一度やればどうなるかわかりません。勝因は一気に勝負したところでしょう。 昨年果たせなかった決勝戦、父と共に夢見た日本武道館の決勝の舞台に立ちました。 2000年ベビーの誕生から12年の歳月を経て、息子と共に立った決勝は夢の中でした。それと同時に初優勝から先輩たちとみんなで8年追い求めた決勝が今まさに目の前で。父母の思いをも乗せて、思いのたけ打ち込め力の限り、そして堂々と正しく勝て!あと1つ! 監督を山下渉に預けて。獲ってみ 日本一。 決勝の相手は、京都太秦少年剣道部です。 みんな真っ向勝負です。先鋒、引き分けのあと次鋒、田村が胴を打ち落とし面を決めました。これも最後の技とひたすら稽古した技です。よくやりました。中堅、副将と仕掛けますが決まらず、最後の大将戦を迎えました。忘れもしない昨年の準決勝、先鋒戦で、不覚の負けを記した相手です。負けるわけにはいきません。チーム全員の運命を預かっているのですから。共に生きるか、共に死ぬか大将次第。始めの合図で立ち上がるや開始線から面一閃。小手を決められましたが立派な面でした。しかし、もう後はありません。時間は、刻々と過ぎていきますが私はみょうに負ける気がしませんでした。あとで山下が代表戦を誰にするかと考えていたといっていましたが、私は、代表戦にはならない大将が必ずとると思っていました。最後の最後で相手の空いている逆胴を斬りました。旗3本、見事な胴でした。 大会前、道場に「とるぞ日本一」と掲げて日々黙々と稽古をしてきましたが優勝が決まったこの瞬間、この子供達は何を思ったのでしょうか。これから先の人生の大きな自信になったと思います。やればできる、きっとできると信じて何事においても頑張ってくれると思います。数日後、道場に掲げた「とるぞ日本一」が誰が書き換えたか「とったぞ日本一」に書き換えられていました。本当に目標を達成したんだなと一息ついた一瞬でした。この5人を率いる山下、浩一朗がこれから先、中学、高校と必ず香川県から日本一を出してくれると信じています。